劉備が人妻を食った話
タイトルだけ見るとエロ話のように思えるかもしれないが、違う。
『三国演義』第十九回の話である。
劉備は呂布によって小沛をおわれ、一人で逃げていると、孫乾が追いついてきた。曹操のもとに身を寄せることにして、途中の村々で食糧を求めると、相手が劉備だと知って争って献上した。ある日、猟師の劉安の家に泊まる。劉安は獣の肉を食べさせたいと思ったが、手に入らなかったので、自分の妻を殺し、狼の肉といつわって食べさせた。
これは、劉備が感動した美談と言われている。しかし、本当にそうなのだろうか?
中国では、最近まで人肉食に対する抵抗が薄かった。ここでその価値観について論じるつもりはない。問題にしたいのは、原文をちゃんと読み解けているかということだ。
日本人がこれを美談としているのは、吉川三国志に源流があると思う。以下のブログにこの部分の引用がある。
DI★ction★ARY:吉川三国志における中国の食人文化の記載
問題にしたいのは以下の部分である。
ここは原文ではこうなっている。
「傷感」は辞書(『漢語大詞典』)によると「感動・感慨によって悲しむこと」とある。吉川三国志はまったく辞書のとおりになっている。しかし、人が普段辞書のとおりに言葉を使っているかというと、自分のことを考えても、そうとはいえない。
ちくま文庫の井波律子訳『三国志演義』から、この部分を前後もあわせて引用する。
この訳では、「傷感」に感動の意味は含まれていない。同じく第二十一回から「不勝傷感」とある部分を引用すると、
ここでは感動の意味が含まれている。
『三国演義』において「傷感」が使われている所は13ある。うち、感動の意味が含まれているものは3件あると考える。残りは感動の意味を含まない。
字をひっくり返して「感傷」はどうかというと、全部で4件あって、そのうち感動の意味を含むのは1件である。
『三国演義』内で辞書のとおりに使われているのは、17件中4件、問題としている第十九回を除けば、16件中4件である。前後の関係を見れば、第十九回の部分に感動の意味が含まれているとは考えるのは難しいのではないだろうか。
話の前段階を見ると、劉備には名声があって、人々は当然のように自ら進んで食糧を献上していた。そこで、劉安という個人名が出てくるのは、劉備と同姓であるということを示している。劉備の名声・同姓の誼という二つを考えれば、決して接待をおろそかにはできないだろう。
これは、美談というより悲劇といえるのではないだろうか。
さて、悲劇であると言ったばかりなのだが、別の見方もできる。
劉備一行は二人だけだ。それならば、介子推のように自分の肉を削ぎ落とせばよかったのではないか。そのほうが美談になる。実際、劉備が見つけた劉安の妻の死体から取られていた肉は、ほんの一部だった。残された部分の用途を考えると、劉安のことを好人物であるとは思えなくなってしまう。また、劉安は曹操から、見舞金と思われる金百両をもらっている。再び妻をもらい、また名声ある客人が来たときに何が起こるかは、想像に難くない。
『三国演義』が書かれた時代の、女性に対する冷淡さは、まさにおどろくべきものである。
『三国演義』第十九回の話である。
劉備は呂布によって小沛をおわれ、一人で逃げていると、孫乾が追いついてきた。曹操のもとに身を寄せることにして、途中の村々で食糧を求めると、相手が劉備だと知って争って献上した。ある日、猟師の劉安の家に泊まる。劉安は獣の肉を食べさせたいと思ったが、手に入らなかったので、自分の妻を殺し、狼の肉といつわって食べさせた。
これは、劉備が感動した美談と言われている。しかし、本当にそうなのだろうか?
中国では、最近まで人肉食に対する抵抗が薄かった。ここでその価値観について論じるつもりはない。問題にしたいのは、原文をちゃんと読み解けているかということだ。
日本人がこれを美談としているのは、吉川三国志に源流があると思う。以下のブログにこの部分の引用がある。
DI★ction★ARY:吉川三国志における中国の食人文化の記載
問題にしたいのは以下の部分である。
玄徳は感傷してやまなかった。
ここは原文ではこうなっている。
玄德不勝傷感。
「傷感」は辞書(『漢語大詞典』)によると「感動・感慨によって悲しむこと」とある。吉川三国志はまったく辞書のとおりになっている。しかし、人が普段辞書のとおりに言葉を使っているかというと、自分のことを考えても、そうとはいえない。
ちくま文庫の井波律子訳『三国志演義』から、この部分を前後もあわせて引用する。
劉備は仰天してわけを聞き、はじめて昨晩食べたのが、劉安の妻の肉であったことを知り、胸つぶれる思いで、ハラハラと涙を流しながら馬に乗った。
この訳では、「傷感」に感動の意味は含まれていない。同じく第二十一回から「不勝傷感」とある部分を引用すると、
劉備は公孫瓚が死んだと聞くと、昔、自分を推挙してくれた恩義を思いおこし、感無量となった。
ここでは感動の意味が含まれている。
『三国演義』において「傷感」が使われている所は13ある。うち、感動の意味が含まれているものは3件あると考える。残りは感動の意味を含まない。
字をひっくり返して「感傷」はどうかというと、全部で4件あって、そのうち感動の意味を含むのは1件である。
『三国演義』内で辞書のとおりに使われているのは、17件中4件、問題としている第十九回を除けば、16件中4件である。前後の関係を見れば、第十九回の部分に感動の意味が含まれているとは考えるのは難しいのではないだろうか。
話の前段階を見ると、劉備には名声があって、人々は当然のように自ら進んで食糧を献上していた。そこで、劉安という個人名が出てくるのは、劉備と同姓であるということを示している。劉備の名声・同姓の誼という二つを考えれば、決して接待をおろそかにはできないだろう。
これは、美談というより悲劇といえるのではないだろうか。
さて、悲劇であると言ったばかりなのだが、別の見方もできる。
劉備一行は二人だけだ。それならば、介子推のように自分の肉を削ぎ落とせばよかったのではないか。そのほうが美談になる。実際、劉備が見つけた劉安の妻の死体から取られていた肉は、ほんの一部だった。残された部分の用途を考えると、劉安のことを好人物であるとは思えなくなってしまう。また、劉安は曹操から、見舞金と思われる金百両をもらっている。再び妻をもらい、また名声ある客人が来たときに何が起こるかは、想像に難くない。
『三国演義』が書かれた時代の、女性に対する冷淡さは、まさにおどろくべきものである。


