惠賈皇后傳
惠賈皇后、名は南風、平陽人である。小名をmojikyo_font_066407といった。父の賈充は別に傳があるのでそちらを参照。はじめ、武帝は太子に衞瓘の娘を娶るつもりだったが、元后が賈郭の進言を容れて賈氏を娶らせたいと思った。武帝は「衞公の娘は五つのよいところがあり、賈公の娘は五つのよくないところがある。衞の血統は賢く子が多く、美しく背が高くて色白。賈の血統は嫉妬深く子が少なく、醜くて背が低く色黒」。しかし、元后はそれでも強く要請して、荀顗、荀勖も賈充の娘の賢さを主張したので結婚が決まった。はじめ妹の午を娶った。午は十二で、太子より一歳年下だったが、小さくて着物の重さに耐えない年頃だった。さらに南風のほうを娶った。歳は十五で太子より二歳年上だった。泰始八年二月辛卯?、太子妃に任命された。嫉妬深く嘘偽りが多く、太子は恐れ惑い、宮女でまれにを進める者がいた。
惠羊皇后傳
惠羊皇后、諱は獻容、泰山南城の人である。
謝夫人
謝夫人、名は玖。家は貧しく、父は羊の屠殺業だった。玖はつつましくて美しかったので、選ばれて後宮に入り、才人となった。
惠帝が東宮のいたころ、妃を娶ることになったが、武帝は太子が幼くて帷房の事を知らないことを心配して、玖を遣わし寝所に侍らせた結果、ヒットした。賈后は彼女が寝所に侍ることを嫌って追い出した。玖は西宮に戻って愍懷太子を産んだ。三四歳になっても惠帝は知らなかった。入朝して愍懷太子が他の皇子と遊んでいるのを見た。惠帝が皇子の手を順番に取って愍懷太子の番になると、武帝が「それはお前の子だ」愍懷太子が太子となり、玖は淑媛となった。賈后は太子が玖と会うことをゆるさず、玖を一室においた。太子が廃されると、玖は殺された。永康のはじめ、太子が改葬されて、玖は夫人の印綬を贈られ、顯平陵に葬られた。
愍懷太子妃王氏
愍懷太子妃王氏、太尉王衍の娘で、字は惠風。つつましく節操があった。太子が既に廃されて金墉城にいた時、王衍は太子と離婚してくれと頼んできたので、惠風は泣く泣く実家に帰り、その姿を見た人は彼女のために悲しんだ。劉曜が洛陽を陥落させると、惠風はその部将の喬屬に与えられた。妻にしようとすると、惠風は剣を抜いて喬屬を威嚇して言った。「私は太尉の娘、皇太子の妃です。女の義として胡人に辱められるようなことにはならぬ」喬屬は彼女を殺した。

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