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晉書 巻六十三 列傳 第三十三 段匹磾 段匹磾は東部鮮卑の人である。すぐれた肉体の持ち主で、代々大人となった。父の務勿塵は、東海王司馬越を助けて軍功があり、王浚が彼を親晋王に推挙し、また遼西公に封じられ、王浚の娘を娶り、相互防衛条約を結んだ。懐帝が即位し、務勿塵は大單于となり、匹磾は左賢王となった。晋のために戦って撫軍大将軍となった。務勿塵が死ぬと、弟の渉復辰は務勿塵の子の疾陸眷にその地位を継がせた。 劉曜が洛陽にせまると、王浚は督護の王昌らに疾陸眷、その弟の文鴦、従弟の末杯を率いて襄国の石勒を攻めさせた。石勒が敗走して城塁に逃げ込むと、末杯は塁門まで追跡して、そこで捕まってしまった。石勒は末杯を人質として、疾陸眷に和平を申し込んだ。疾陸眷が聞き入れようとすると、文鴦が反対した。「命を受けて石勒を討っているのに、末杯一人のために、敵の思うままになるのですか?すでに王浚を失望させていて、そのうえ後に憂いを残すことになる。いけません」。疾陸眷は聞き入れず、鎧馬二百五十匹、金銀それぞれ一箱で末杯を購った。石勒は末杯に、金や絹などをもたせて丁重に帰した。疾陸眷は文鴦に命じて石虎と同盟し、義兄弟となって帰還した。王昌らも守りきれずに帰還した。 晋の建武のはじめ、匹磾は劉琨を大都督に推薦した。同盟して石勒を攻めることにし、渉復辰、疾陸眷、末杯らに檄を飛ばして襄国に集い、匹磾と劉琨は固安に駐屯して軍勢を待った。石勒は懼れて末杯に賄賂を贈った。末杯は以前の恩義に報いるために、匹磾の不在をついて国を奪い、匹磾から渉復辰、疾陸眷を離間させた。「年長者が子弟に従うのですか?功績があったとしても、匹磾が独占してしまうでしょう」。渉復辰らはその通りだと思って引き返した。匹磾も作戦を中止した。しばらくして疾陸眷が病死し、匹磾は薊から弔問に訪れたが、右北平に着いたところで、末杯が言いがかりをつけて匹磾を攻撃した。末杯は渉復辰とその一族の二百人あまりを殺し、自立して單于となった。 王浚が敗れると、匹磾は幽州刺史となった。劉琨は并州から身を寄せて、再び匹磾と同盟し、石勒を攻撃した。匹磾は末杯に敗れた。配下の人々は離散してしまった。劉琨が自分を裏切るのをおそれて、殺してしまった。それで晋人も離散してしまった。匹磾は守りきることができず、北の邵續を頼った。再び末杯に敗れた。匹磾は負傷して、邵續に言った。「私は胡人ではあるが義を慕い、家破れる結果となった。君が昔のことを忘れていなければ、私とともに戦って、君の功績にしたまえ」。邵續「あなたの威徳を頼って私は今の身分を得ました。今あなたに困難があるのなら、どうしてともに行かないことがあるでしょう!」。力を合わせて末杯を追討し、敵を尽く斬った。また、文鴦に命じて北の薊城に末杯の弟を討った。帰還しようとして、城まで八十里のところまできて、邵續が捕らえられたと聞いた。人々はおそれて離散し、石虎に行く手を遮られた。文鴦は手勢数百人で力戦して撃ち破り、入城した。石虎は城下を略奪した。文鴦は城からそれを見て、出撃したかったが、匹磾は許さなかった。文鴦「私は武勇をもって聞こえ、それゆえ皆がついてきてくれるのです。彼らが苦しめられているのを見て救わなければ、丈夫とは言えない。失望させておいて、誰が私のために死のうとするのか!」。壮士数十騎を率いて出撃し、多くの敵を殺した。馬が疲れ果てて倒れた。石虎が呼びかけた。「君も俺も胡人だ。ともに戦おうではないか。天は願いを違わず、今日、相見えることができた。なぜ我らが戦う必要がある?武器を置きたまえ」。文鴦が罵った。「お前は侵略者だ。万死に値する。我が兄が私の計略を用いなかったためにお前は今まで生きてこれたのだ。たとえ死んだとしても、お前に屈したりはしない」。下馬して戦い、矛が折れても刀をとって戦い続けた。石虎は四方から包囲して馬具を解いて、それでバリケードを作り、前進して文鴦を捕らえようとした。文鴦は朝方から夕方まで戦い、力尽きてついに捕われた。城内は混乱した。 匹磾は一人で朝廷に帰ろうとした。邵續の弟、樂安内史の邵洎は兵を率いてそれをやめさせた。邵洎は晋朝の使者の王英を捕らえて石虎に送り届けようとすると、匹磾は色をなして責めた。「君は兄上の志にしたがわないのか。私を朝廷に帰らせず、さらに今度は天子の使者を捕らえようとする。私は胡人ではあるが、こんなことは聞いたことがない」。そして王英に言った。「私は朝廷から恩を受け、忠義を忘れたことはありません。今日、このような事態になり、朝廷に帰って罰を受けたいと思いましたが、それもかなわず、思いを遂げられません。もしも生きながらえましたならば、命ある限り、忠義を忘れることはありません」。そして黄河の南に渡った。朝服を着て、晋の臣として石虎に見えた。「私は国の恩を受け、お前を滅ぼすつもりであった。不幸にも内紛によって自壊し、このようなことになった。死ぬことができぬとしても、お前に平伏したりはしないぞ」。石勒と石虎はもともと匹磾と義兄弟になっていた。石虎は拝礼した。匹磾は襄国についたが、石勒に拝礼せず、常に朝服を着て、晋の臣としてあり続けた。数年後、匹磾を担ぎ上げて謀叛を企む者がいたが、露見して匹磾は殺された。文鴦もまた毒殺され、段部のなかでは末波だけが生き残った。末波が死ぬと、弟の牙が継いだ。牙が死ぬと、大伯父の就陸眷の孫の遼が継いだ。 務勿塵の代から、晋の争乱があって、称号を自称して、遼西を根拠として、晋に臣従していた。領地は西は幽州から東は遼水までだった。胡人晋人あわせて三万家、弓騎兵は四五万、石虎に侵略されて休む間もなく、ついに敗れて、残された者は司州・雍州に徙された。その子の蘭は兵を集めて石虎を悩ませた。石氏が滅びると、末波の子の勤は胡人羯人数万人を集め、枉人山を拠点として趙王を自称し、慕容儁にしたがった。すぐに冉閔に敗れ、繹幕に移り、皇帝を自称した。慕容儁が慕容恪に攻撃させると、勤はおそれて降伏した。 |
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